ジャニーズのスカウト入所組16人を紹介!オーディションなしで入所したメンバーは誰?

ジャニーズ事務所に在籍している多くのタレントは、定期的に開催されるオーディションを受け、狭い門を突破し、入所に至っています。

ですが、そんなジャニーズ事務所のタレントの中にも、ジャニーさんによって直接スカウトを受けて入所した、いわゆる「エリート」と呼ばれるメンバーがいるのはご存じでしょうか?

エリートと呼ばれるメンバーは、ジャニーズに在籍しているタレントの中でほんの一握りしかおらず、かなり珍しい入所の仕方です。

ジャニーさんは、年間を通して多くの少年達を見てきたこともあり、「その子を見れば、10年後の姿も見える」と言われていました。

それほどスターになれる人材を見抜けていたということなのでしょうね。

そんな数少ないエリートにはどんなメンバーがいるのか、紹介していきたいと思います。

①猪狩蒼弥(HiHi Jets)

ローラースケートを履き、熱いパフォーマンスを魅せるジャニーズJr.の5人組ユニットHiHi Jets。

その中でも、特にローラースケートとラップを得意とし、グループの曲の振付も行う猪狩蒼弥。

そんな猪狩蒼弥は、ジャニーさんにローラースケートの腕を買われてスカウトされました。

ローラースケートの練習中に声をかけられる

猪狩蒼弥は2013年6月28日、パークでローラースケートの練習をしていた時にジャニーさんに声をかけられ、父親、スタッフを通して入所の打診があったそうです。

しかし、ジャニーさんとは2013年よりも前に会っていたそうで、そのときのエピソードを2020年11月15日に配信されたジャニーズJr.チャンネルの中で明かしています。

動画の中で猪狩蒼弥はジャニーさんと初めて会ったときのことを次のように語っています。

「2012年にジャニーズ・ワールドやってたでしょ。俺そこ見に行ってるんだよね」

「ジャニーさんの知り合いの方に『ちょっと舞台見に行こう』って言われて、ジャニーズ・ワールドを見に行ってジャニーさんにメロンソーダおごってもらったの」

「2週間後ぐらいにまた誘われて行ったら、今度は楽屋でうどんとってもらって、それを社長と一緒に食った」

猪狩蒼弥はジャニーさんを知らないままうどんを食べていたそうで、他のメンバーからは「エリートだよ」「ジャニーさん、たぶんもう気にしてたよね」などと驚きの声が挙がっていました。

もしかしたらパークで声をかけるよりも前に、ジャニーさんの目に留まっていたかもしれませんね。

②向井康二(Snow Man)

向井康二は父親が日本人、母親がタイ人のハーフで、1歳からは奈良県で過ごしました。

また、幼少期はタイで暮らしていたこともあり、ムエタイのジムに通っていました。

向井康二が小学2年生の時、滝沢秀明の付き添いでタイを訪れていたジャニーさんが、そのジムに飾られていた向井康二の写真を見て、日本に帰国していた向井康二の家に連絡を入れます。

「もしもしジャニーですけど」と電話を受けた向井康二の母親は、最初はジャニーズ事務所の社長と信じていなかったようですが、ジャニーさんから同じような電話が5回もかかってきたそうです。

向井康二は、2020年1月26日の『CDTV』の中で、ジャニーさんからスカウトを受けたときのことを明かしていました。

ジャニーさんとの初対面

その後、向井康二は滝沢秀明が出演するコンサートに呼ばれて、ジャニーさんと初めて会います。

ですが、その時はまだ幼いということで「まだちっちゃいから、あと4年後に」と保留となり、小学5年生の2006年10月8日にジャニーズ事務所に入所しています。

このとき向井康二はジャニーさんから1万円もらったそうで、2021年12月2日放送の『ダウンタウンDX』に出演した際、緊張した時のお守りとして今でも大切にしていると明かしました。

また入所した時に向井康二が「兄がいる」と言ったことで、お兄さんの向井達郎も後日入所し、兄弟で『ムエタイ向井ブラザーズ』として活動しました。

現在お兄さんの向井達郎は退所し、ダンサーとして活動されています。

もしもジャニーさんがタイを訪れていなかったら、向井康二はジャニーズに入っていなかったのかもしれないと考えると、運命的な出会いですよね。

③ジェシー(SixTONES)

4歳から8年間空手をやっていて、初段・黒帯のジェシーは、全国大会で2年連続準優勝したこともある実力者です。

父親がアメリカ人、母親が日本人というハーフのジェシーは、「男の子は強くいてもらいたい」「自分の身は自分で守れ」というお父さんの勧めで空手を習っていたそうです。

その空手の道場に元ジャニーズJr.だったジョーイ・ティーも通っていて、ジャニーさんがハーフっぽい人を探していたことから、ジョーイ・ティーは「ジャニーさんに会いに行こう」とジェシーをジャニーさんに紹介しました。

ジェシーはジャニーズについて全然知らなかったそうですが、ジャニーさんはジェシーを見てすぐスカウトしたそうです。

そのとき「何か買ってきな」と千円札を渡され、『ザ・少年俱楽部』のリハーサルへ行くようにジャニーさんに言われました。

その2週間後には、NHKホールで『ザ少年倶楽部』の収録本番のステージに立ったというエピソードを、2020年11月27日に配信されたSixTONESのYouTubeで話しています。

ちなみに、入所のきっかけとなったジョーイ・ティーは岩永ジョーイとして、現在は日本やアメリカでダンサーや俳優として活動されているようです。

芸名が「税水」!?

2021年10月25日に放送された『激レアさんを連れてきた。』にジェシーが出演した際、ジャニーさんから、本名のルイス・ジェシーは長いし、カタカナだと普通だから「”税水”で”ジェシー”はどうか」と提案されたと明かしていました。

ジャニーさんのネーミングの鬼才さは有名ですが、「近畿」と「キッズ」で「KinKi Kids」、「平成」と「ジャンプ」で「Hey! Say! JUMP」など、今では唯一無二の名前になっていますよね。

結局、カタカナの方が覚えてもらいやすいと「ジェシー」に落ち着きましたが、インパクトがあって、一度聞くと忘れないタレントにジェシーを育てていきたかったのかもしれませんね。

④森本慎太郎 (SixTONES) 

2009年12月に『スノープリンス合唱団』の中心メンバーとしてCDデビューしていたり、映画『スノープリンス 禁じられた恋のメロディ』で映画初出演&初主演を務めるなど、ジャニーさんのお気に入りだったとして知られる森本慎太郎。

『櫻井・有吉THE夜会』をはじめ、いろいろなTV番組などで「ジャニーズへ入ったきっかけがスカウト」であることを明かしています。

2006年10月に森本慎太郎は、元Hey! Say! JUMPの最年少メンバーとして兄・龍太郎が出演していたKAT-TUNのコンサートを、母と祖母、妹と観に行きました。

その後、ホテルの中華料理屋で家族で食事をして際、ジャニーさんが森本慎太郎に「龍太郎くん」と間違えて声をかけてきたそうです。

お母さんが「今、龍太郎は下でコンサートやってます」と笑いながら答えたところ、ジャニーさんはお母さん、おばあちゃんと10分ほど話し、ジャニーさんから「ジャニーだけど、うちに来ない?」と誘われました。

当時、森本慎太郎は空手で小学2年生の時に関東大会で2連覇、全国で4位になったり、小学3年生で念願の黒帯を取得するなど、空手に夢中だったこともあり断っていたそうです。

その後、2週間~1カ月に一度ジャニーさんから自宅に電話がかかってくるようになり、「今日学校でこういうことがあったよ」「今こういう舞台やってるよ」など他愛もない会話をしていました。

ある日、ジャニーさんから「1回、滝沢の舞台を見に来い」と招待され、見学だけならとお母さんとともに行くと、ジャニーさんに舞台裏を案内されます。

その際リハーサルに参加し、初体験ながらダンスの魅力を知った森本慎太郎は、空手を辞めて小学3年生でジャニーズ事務所に入所しました。

実はスカウト前にジャニーさんに会っていた

実はスカウトされた2年前に、森本慎太郎はジャニーさんに会っていたことを、2020年11月27日に配信されたSixTONESのYouTubeの中で明かしています。

2004年8月12日に行われたTV番組『Ya-Ya-yah』でのジャニーズJr.オーディションを、小学1年生の時に受けに行きました。

その際「ユーは若すぎるからダメだよ、大きくなったらまた来てね」と言われたのが、ジャニーさんとの初対面だったそうです。

ちなみに、このオーディションに受けて合格したメンバーにHey! Say! JUMPの山田涼介や、Snow Manの深澤辰哉、阿部亮平などがいます。

ブサイクになった!?

2021年2月5日、SixTONESで『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に出演した際、ジャニーさんと交わした最後の会話について語っていました。

ジャニーさんに田中樹とジェシーと森本慎太郎で会った時に、ジャニーさんはずっと森本慎太郎の顔をチラチラ見ていて、田中樹に「樹、あいつ誰?」と聞いてきました。

田中樹が「慎太郎だよ」って答えたところ、ジャニーさんは「えっ!?」「ユー、本当ブッサイクになったね」と言ったそうです。

少し苦い思い出になったようですが、それだけジャニーさんの記憶にいた昔の森本慎太郎はかわいらしかったのでしょうね。

⑤京本大我(SixTONES)

京本政樹と元アイドルの山本博美の間に生まれた京本大我。

2019年9月5日に放送された『櫻井・有吉THE夜会』でジャニーさんからスカウトされたときのエピソードを話しています。

京本大我が小学5年生のお正月に家族でハワイを訪れた際、飲食店のママさんと撮影した2ショットの写真を、数カ月後に来店したジャニーさんが見て、店のママさんに「この子誰?」と聞いたことがきっかけだったとのことでした。

写真に写っている子が京本政樹の息子と聞き、ジャニーさんは父親である京本政樹に連絡を取りますが、写真を見つけた時は京本政樹の息子だということは知らなかったそうです。

その後、何度もジャニーさんから電話がかかってきたようで、「KAT-TUNのデビューライブを見にきて欲しい」と言われ見学に行きます。

楽屋前の廊下で、Hey! Say! JUMPの中島裕翔と遊びで『青春アミーゴ』を踊っていたのをジャニーさんが見て、「出てみる?」と声をかけられてデビュー0日で初舞台に立つこととなりました。

そのライブで京本大我は亀梨和也の隣で自己紹介をし、『青春アミーゴ』を一緒に踊りました。

その時の気持ちを、2020年11月27日に配信されたSixTONESのYouTubeの中で明かしています。

『青春アミーゴ』の振付も2時間で覚えたそうで、2020年1月11日に『嵐にしやがれ』に出演した際、相葉雅紀に「天才じゃん」と驚かれていました。

親子2代でスカウト

実は京本大我の父親である京本政樹も中学生の頃、ジャニーさんにスカウトされているそうなんです。

2020年1月14日に放送された『幸せ!ボンビーガール』に京本政樹が出演した際、ジャニーさんからスカウトされていたことを明かしました。

京本政樹が大阪に住んでいた中学生の時に、「ユー、東京来ちゃいなよ」と電話でスカウトが来て、当時京本政樹の私設ファンクラブがあり、そのメンバーが勝手に応募したのだそうです。

ですが、美術大学に進みたいと考えていた京本政樹は「考えさせてください」と悩んだ末に入所はしませんでした。

父親が中学生、息子が小学生で同じ人にスカウトされるとは、よっぽどジャニーズと縁があったのでしょうね。

⑥平野紫耀(King & Prince)

平野紫耀は小学2年生からダンスを習い始め、2011年に辞めていますが、名古屋の芸能事務所に所属していたこともありました。

小さい頃から人見知りだという平野紫耀ですが、ダンスに夢中になった理由について次のように話しています。

「子供のころから人見知りなんです。ダンスは言葉を使わないでよくて、教えるのも体だし、表現するのも体だから、素晴らしい世界だと思った」

そんな平野紫耀がダンススクールの合宿で上京した際、ダンスの先生の先生で、元ジャPAニーズのメンバーであり、光GENJIや少年隊の振付していたボビー吉野のレッスンを受けることになります。

初めて平野紫耀を見たボビー吉野は「ジャニーズっぽい子だな」と思ったと、2021年1月27日に放送された『あいつ今何してる?』に出演した際に明かしていました。

そこで平野紫耀をジャニーさんに紹介したところ、「ユー、来ちゃいなよ」とスカウトされ、2012年の2月に入所することになります。

入所する時、事務所に関東と関西のどちらに所属するか聞かれ、「東京で勝負する前に、まずは関西でスキルを磨きたい」と関西ジャニーズJr.としての活動を選択しました。

ジャニーさんとの出会い

2018年11月3日放送の『メレンゲの気持ち』や2019年9月6日放送の『A-Studio』で、平野紫耀はジャニーさんの第一印象について語っています。

「リクライニングに踏ん反り返ってるおじいちゃんがいるなって思ってたんですよ。」

「稽古ちゃんと見てるのかなと思うくらい、天井ばかり見ていた」

また、小さい頃から歌が嫌いで、家族とカラオケに行っても歌ったことがなかった平野紫耀が、唯一歌を褒められたのがジャニーさんだったそうです。

「ユーの声は魅力があって人を惹きつける」と言われ、自信がついて歌が好きになったとも明かしています。

ジャニーさんの言葉

ジャニーさんは将来有望だと思ったJr.をアメリカに連れていき、トップクラスのショーを鑑賞させていましたが、平野紫耀は入所わずか2カ月後に帯同しています。

ジャニーさんのお気に入りだった平野紫耀を、外国の振付師たちに「この子はスターだよ」と紹介していたそうです。

この言葉は、「思い返しても元気になるような一言。勇気づけられるような一言になってる」と平野紫耀は明かしています。

ジャニーさんは平野紫耀を叱ることも多かったそうですが、愛情を持って本物のスターに育てようとしていたのでしょうね。

⑦松本潤(嵐)

2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』で主演の徳川家康を務める松本潤。

嵐のコンサートでは長く演出を手掛けていたことから、後輩グループも信頼を置きアドバイスを求められるエピソードをよく聞きますよね。

また、2021年末に演出を手掛けた『Johnny’s Festival~Thank you 2021 Hello 2022~』では、全ジャニオタが「さすが松潤」というほどファン想いな演出が大きな話題になりましたね。

ジャニーズ入りのきっかけ

松本潤は2歳上に姉がいるのですが、KinKi Kidsのファンだったお姉さんの影響でジャニーズに興味を持ち、小学校の卒業式が終わった足で履歴書を送りました。

その後、中学生になった松本潤のもとに、ジャニーさんから電話が入り、「六本木のテレ朝でレッスンやってるから、来ちゃいなよ」と言われたそうです。

松本潤はその日あった野球の練習を休んでレッスンへ行き、オーディションを受けずにジャニーズ事務所に入りました。

今ではクールでセクシーという印象の松本潤ですが、入所当時は大きな目がかわいらしい、いじられキャラだったようです。

ジャニーさんに1度だけ褒められた

松本潤が、2020年7月29日に放送された『関ジャム 完全燃SHOW』に出演した際、ジャニーさんとのエピソードを次のように語っていました。

「自分のエンターテインメントの根源というか、切っても切れないというか。どこを切ってもその血なんじゃないかなと思う」

また、印象に残っている思い出として、2015年のコンサートツアー『ARASHI LIVE TOUR 2015 Japonism』を挙げ、「形を作るときに、ジャニーさんのエンタメイズムだったり、ジャニーさんだったらどうするかなというのを想像しながらやった」と振り返っていました。

ラストの東京ドーム3日間の公演の前にジャニーさんに電話したものの、初日は「忙しいから無理」、2日目は「体調悪いから行けない」、最終日は「その時間行けない」と3日間とも断られてしまったそうです。

しかし、3日目の本番中にジャニーさんが座っているのを発見した時はうれしかったそうで、ライブ後の電話でジャニーさんから「ありがとう」と言われ、「妙に感動しちゃって」と褒められたことを明かしていました。

⑧三宅健

40歳を超えてもなお、変わらないビジュアルの美しさから、「年齢不詳」「奇跡の40歳」などと、ファンのみならず、同じジャニーズの面々からも褒めたたえられる三宅健。

その見た目とは裏腹に、屈託のない明るくフレンドリーな性格で、人に愛される一面も持っていますよね。

ジャニーズ入所のきっかけ

三宅健のジャニーズ入所日は1993年5月4日で、親戚がジャニーズ事務所に履歴書を送った事がきっかけでした。

事務所には毎日何万通と履歴書が届くため、なかなか連絡が来なかったというエピソードもよく聞かれますが、三宅健は履歴書を出して2~3日後にジャニーさんから直接電話をもらったそうです。

ジャニーさんからSMAPのコンサートに誘われ、見学のつもりで言ったところ、中居正広がバラードを披露する際の周りにたたずむ少年たちの役でいきなり出演、その日のうちに私服でアイドル雑誌の撮影にも参加し、即日入所となった異例の経歴を持っています。

入所した後もジャニーさんからYOUはビジュアルでいくから、何もしなくていいよとダンスレッスンもしばらく免除されていたほどのお気に入りでした。

その後、ダンスが上手いと振付師さんも認める森田剛とシンメを組むことになり、自ら希望してダンスレッスンに参加しています。

ジャニーズJr.で初めての単独コンサートを開催するなど、「剛健コンビ」として爆発的な人気を誇っていました。

グループ結成

1995年11月1日にV6としてデビューしていますが、V6が結成される頃に、ジャニーさんからYOUを中心としたグループを組もうと思ってる」と明かされたのだそうです。

その時に、森田剛はメンバーに入っていませんでしたが、三宅健は剛がいないならやらない」と答えました。

後のインタビューで、「剛がいなければ売れないと思った」と話していましたが、ジャニーさんからは剛を入れちゃうとYOUが1番になれないじゃない。YOUを1番にするグループを作ろうとしているのに」と言われたそうです。

それでも森田剛と一緒じゃなきゃやらないという想いを貫いて、剛健を中心にV6のメンバーが決まりました。

ジャニーさんや森田剛との絆が伺えるエピソードですよね。

⑨堂本剛(KinKi Kids)

堂本剛は、大阪にある児童劇団『劇団アカデミー』で小学5年生まで、「堂本直宏(なおひろ)」という芸名で子役として活動していました。

芸名の直宏は、姉の初恋の人の名前にちなんだものだったそうです。

子役時代は、北島三郎の舞台で親子役で出演したり、国分太一と共演したり、舞台やドラマ、CMと幅広く活動していました。

<堂本直宏での経歴>

放送・公開日作品名
1987年7月若大将天下ご免!(第13話)
1987年8月・1988年9月・1990年2月妻そして女シリーズ
1987年10月ダウンタウン物語(第3話)
1988年夕空晴れて
1988年7月ぼくと仔犬のわんぱく大事件
1989年ハートに火をつけて!
1990年1月女帝 春日局
1990年5月魔鏡
1990年5月参上! 天空剣士(第9話)

堂本光一との出会い

子役として活動していた堂本剛ですが、中学受験も考えて学業に専念するために小学5年生の時に辞めています。

そんな堂本剛が小学6年生の時に、光GENJIの諸星和己のファンだった6歳上の姉が履歴書を送ったことがきっかけで、光GENJIのコンサートに招待されました。

中学受験に加えて、当時はバスケットボールにも夢中だったため、ジャニーズ事務所に入るつもりはなく断る予定だったそうです。

「断るなら直接自分の口で言いなさい」と1991年5月5日、母親に連れられ横浜アリーナでコンサートを観に行った際、「同じ名字の人がいる」と紹介され堂本光一と出会っています。

ジャニーさんから「2、3日預からせてほしい」と言われ、コンサート後は2人でホテルに泊まり、一緒にテレビを見たそうで、堂本光一は、堂本剛に出会って入所を決め、後に堂本剛もジャニーズ入りを決断しました。

ジャニーさんとのエピソード

ジャニーさんにはスペシャルなお気に入り「スペオキ」といわれていたメンバーがいますが、堂本剛もその1人で、数々のジャニーさんとのエピソードがあります。

ホタテの貝柱

ジャニーさんはポケットにホタテの貝柱を忍ばせていて、それを分けてもらえるとスペオキいう噂があったそうですが、堂本剛は袋ごともらったというエピソードが残っています。

ジャニーズの他のメンバーもジャニーさんの思い出に「貝柱」をあげていましたね。

側転

Jr.時代に堂本剛がただただ普通の側転をしたところ、ジャニーさんは「YOU、天才だよ」と褒めちぎっていたそうです。

その後、堂本光一がもう少し上の技を披露したときには「YOU、全然ダメ」と、コンビなのに差があったことも明かしていました。

ジャニーさんのテーブル

KinKi Kidsの2人でジャニーさんの家に遊びに行った際、ジャニーさんに「疲れたでしょ。テーブルの上に足乗せてもいいからね」と言われたので、2人は足を乗せました。

堂本剛は怒られなかったのですが、堂本光一は「YOU、その汚い足のっけないで」と怒られてしまったそうです。

後に堂本光一も、「剛は怒られないけど、僕はいつも怒られていた」と話していましたよね。

公の場でジャニーさんの話

ジャニーさんがどんな人なのかは公にされず、謎に包まれていましたが、堂本剛がジャニーさんのエピソードを話すようになったことで、他のジャニーズのタレントもジャニーさんの話をするようになったそうです。

このことに対して、堂本剛は「ジャニーさんのネタをやり始めたのは僕。ジャニーさんはやめてよって言いつつ喜んでるので大丈夫」と話していました。

⑩堂本光一(KinKi Kids)

2000年の初演から20年以上ジャニーズを代表する舞台『SHOCK』シリーズをけん引し、その風貌からファンに「王子」と称されている堂本光一。

最近では後輩たちが出演する舞台のプロデュースを手掛けたりと、ジャニーさんが残した言葉「Show Must Go On」の精神でジャニーズの伝統を継いでいこうとされていますよね。

ジャニーズ入りのきっかけ

堂本光一が小学校6年生の時、少年隊のファンだった姉が郵送した履歴書がジャニーさんの目に留まり、直々に電話で当時大阪で行われていた光GENJIのコンサートに招待されました。

姉の影響で『PLAYZONE’89 Again』や『PLAYZONE’90 MASK』などの舞台は観ていたものの、当時はジャニーズにあまり興味がなかったそうです。

しかし、コンサートで歌う先輩を観ているうちに「かっこええな。やってみようかな」と思い、12歳の時に再び光GENJIのコンサートを横浜アリーナで鑑賞した際に、その場でジャニーズ事務所入りを決めました。

この時、母親がジャニーさんにたった一言「よろしくお願いします」と言って頭を下げた姿が忘れられないと後にインタビューで明かしています。

この光GENJIの横浜アリーナでのコンサートで、堂本剛と運命的な出会いを果たしました。

ジャニーさんは褒めてくれなかった

2022年3月6日放送の『日曜日の初耳学』に出演した際、堂本光一は「僕はジャニーさんから叱られるタイプだった」「絶対に褒めてくれなかった」と明かしていました。

コンビでありながら、ジャニーさんから褒められるタイプだった堂本剛とは扱いが対照的だったようです。

堂本光一は若い頃からバク転ができ、堂本剛はできなかったそうですが、堂本剛がバク転に入る前の助走の技・ロンダートのみを披露した際、ジャニーさんは「かっこいいよ」とべた褒めでした。

反対にバク転までできる堂本光一のことはまったく褒めてくれなかったそうです。

その理由として、堂本光一は「自分の性格的に反骨精神のほうが強い」ので、ジャニーさんはそういった面を見た上で、あえて厳しく接していたのではないかと推測していました。

また、堂本剛は「そこまで精神的には強くない」とジャニーさんが見抜いていたため、褒めて伸ばそうとしていたのではと思っていたようです。

⑪城島茂(TOKIO)

ジャニーズでリーダーといえば城島茂の名前が浮かぶほど、お茶の間にも親しまれていますよね。

『ザ!鉄腕!DASH!!』でも50歳を超えているとは思えないほど、体を張って頑張る姿には心を打たれます。

そんな城島茂は自らジャニーズ事務所に応募しますが、その理由は「生活環境を変えたかった」からでした。

貧しかった幼少期

城島茂が小学3年生の頃に両親が離婚していて、母親と2人その日暮しの極貧生活を送っていました。

京都、鹿児島、神奈川、大阪を転々としていたため友達もできず、奈良に定着しましたが学校でもいじめられて中学校で不登校になっていたそうです。

そんな時に、少年隊が仮面舞踏会を歌っている姿をテレビで観て「こんな世界があるんだ」と衝撃を受けて、貧しい暮らしや引きこもっている自分から脱出するため、自らジャニーズ事務所に履歴書を送りました。

面接でジャニーズ入り

その後、ジャニーさんから直々に電話がかかってきましたが「ジャニー喜多川です」と言われ、城島茂は「誰ですか?」返したそうです。

「ジャニー喜多川が社長だから、ジャニーズ事務所っていうんだよ」とジャニーさんから説明を受けようやく理解し、ホテルで食事をしながらいろいろと話をすることになりました。

そんな城島茂の人柄を気に入ったジャニーさんは、その場で合格を告げて、見事オーディションなしで入所が決まりました。

⑫東山紀之

1985年の少年隊デビュー以来、ジャニーさんの意志を継いで、ジャニーズを引っ張り続けている東山紀之。

ジャニーさんは生前、少年隊について次のように話していました。

「自分が思う最強のグループ」

「踊りが完璧で、歌も歌え、自分たちで演出もできていた」

少年隊のメンバーが退所してもジャニーズに残り、後輩の面倒を見ている東山紀之も、ジャニーさんからの直接スカウトで入所しました。

信号待ちで声をかけられた

東山紀之のお母さんがNHKの職員用理髪店で働いていて、歌番組『レッツゴーヤング』の公開録画のチケットを取ってくれたので、友だち3人と一緒にNHKホールまで観に行きました。

当時、東山紀之は小学6年生で、坊主頭の少年でした。

その帰り道に渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていたところ、ジャニーさんに声をかけられたそうです。

その時のことを東山紀之は、2021年1月8日放送の『ダウンタウンなう』で語っています。

「ジャニーさんが川崎麻世さんのマネジメントで『レッツゴーヤング』に来ていて、ジャーニーさんが電話を使おうと車を降りたところ、その前の前に僕が立っていて、『You、金八先生、見てる?』声をかけられた」

東山紀之が「金八先生観てます」と答えると「電話番号教えてほしい」と言われ、少し怪しいと思ったが「ちっちゃいテケテケしたおじさんだった」から受け入れたのだそうです。

後に”しょうゆ顔”と言われた端正な顔立ちと雰囲気が、ジャニーさんの目に留まったのかもしれませんね。

⑬諸星和己

1987年に『STAR LIGHT』でレコードデビューし、ローラースケートを履いたアクロバティックなパフォーマンスで、たちまち爆発的な人気を得て、社会現象になった光GENJI。

グループのセンターを務めた諸星和己は、「かーくん」の愛称で親しまれ、圧倒的な人気を誇っていました。

そんな諸星和己も、ジャニーさんから直接スカウトを受けてジャニーズ事務所に入所しています。

2015年6月26日放送のラジオ番組『たまむすび』に諸星和己が出演した際に、ジャニーさんとの出会いを語っていました。

中学生で家出

諸星和己が13歳の中学生の時、地元の静岡県から家出をして上京しています。

代々木公園に竹の子族を観に行ったが、平日だったため実施されていませんでした。

仕方なく、そのまま代々木公園で野宿しているところに、ジャニーさんから「ジャニーだけど」と声をかけられ、名刺を渡されたそうです。

その後、所持金をわずか1,200円しか持っていなかった諸星和己は、もらった名刺に書かれていた電話番号に連絡し、衣食住を確保するために、ジャニーズの合宿所で生活をスタートさせました。

はじめの頃はレッスンを嫌がって、ジャニーさんと衝突することもあったそうですが、ジャニーさんは諸星和己のスター性を見抜いていたのでしょうね。

⑭野村義男

15歳の時に『3年B組金八先生』に出演し、田原俊彦、近藤真彦とともに「たのきんトリオ」として活躍するした野村義男。

現在はギタリストや音楽プロデューサーとして活動されていますよね。

そんな野村義男も、ジャニーさんに直接スカウトされてジャニーズ事務所に入所した1人です。

代々木公園でスカウト

小学5年生の11歳の時に、姉の影響でギターを始めた野村義男。

代々木公園にあったゴーカートで遊んでいた時に、川崎麻世らと歩いていたジャニーさんの目に留まり、英語で話しかけられたそうです。

英語がわからず戸惑っていると名刺を渡され、それが縁で12歳の時にジャニーズ事務所に入りました。

ちなみに、この時ジャニーさんにもらった名刺はパッケージし、宝物として机の上にずっと飾られているそうです。

亡くなってもなお、大切に思われているのは、ジャニーさんにとってもうれしいことでしょうね。

⑮郷ひろみ

郷ひろみはあまり知られていませんが、わずか数年間ですがジャニーズ事務所に所属してました。

映画『潮騒』オーディションの会場で、オーディションには落選したものの、ジャニーさんに惚れ込まれて、ジャニーズ事務所に入所しています。

ジャニーズ入所後は、大河ドラマ『新・平家物語』で俳優デビュー、デビュー曲『男の子女の子』で第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞するなどの活躍をしています。

また、西城秀樹、野口五郎と新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルになっていきました。

多忙な高校生時代だったため、郷ひろみのお弁当はジャニーさんが作るなど、5年をかけて高校を卒業しています。

1975年に方向性の違いからジャニーズ事務所は離れますが、ジャニーズに所属していた頃は”超VIP待遇”を受けていたと、のちに郷ひろみ本人が語っていました。

⑯近藤真彦

近藤真彦が13歳の頃、地元で所属していた野球チームの監督の娘が、チーム全員の集合写真をジャニーズ事務所へ送りました。

その写真を見たジャニーさんは、写真の近藤真彦の顔に○印を付け、チームの監督の娘に電話をかけ、近藤真彦をスカウトしたそうです。

ジャニーズに入所後は、ドラマ『3年B組金八先生』で大ブレイク、田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍します。

また、1980年12月12日に『スニーカーぶる〜す』で歌手デビュー、1987年の『第29回日本レコード大賞』では『愚か者』で大賞を受賞するなどの功績も残しました。

当時の近藤真彦は人気絶頂で、睡眠時間が平均2時間というエピソードも残っています。

まとめ

ジャニーズでは珍しい、ジャニーさんがスカウトしたメンバーについて紹介しました。

オーディションを受けたジャニーズメンバーから「エリート」と呼ばれています。

偶然が重なり、ジャニーさんの目に留まってジャニーズに入所し、アイドルとなっていく姿は本当の話なのかと疑いたくなるくらいドラマチックですね。

これからもスカウトメンバーの活躍を温かく見守りたいところです。

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