三宅健の家族・兄弟エピソードまとめ!笑顔の裏の壮絶な生い立ち

2023年5月2日に30年所属したジャニーズ事務所を退所し、24:00になる直前までインスタライブを実施、ファン想いな一面を見せた三宅健。

充電期間を設けていましたが、2023年7月2日の自身の44歳の誕生日に、親交のあった滝沢秀明が設立した新会社『TOBE』への合流を発表しました。

これには多くのファンを喜ばせ、安堵させましたよね。

今回は、そんな新たな道を進み始めた三宅健の地元や家族にまつわるエピソードについて調べてみました。

三宅健の地元はどこ?

三宅健は、神奈川県横浜市で生まれました。

しかし、小学生になった頃に父親を鉄道事故で亡くしています。

そのため、母親の実家のある香川県高松市に引っ越し、香川県の高松市立二番丁小学校・高松市立紫雲中学校を卒業しています。

これによって母子家庭として育った三宅健は、新聞配達をして家計を支えていたそうです。

水泳が得意

三宅健は、小学校の時に進学塾に通うなど勉強は嫌いではなかったそうです。

他にも水泳やピアノを習っていましたが、特に母親がコーチだった水泳が得意で、ジュニアオリンピックで入賞したこともあり、小学校時代の夢は水泳選手でした。

三宅健もパーソナリティを務める『三宅健のラヂオ』で、「中学生ぐらいまでやってた時は4種目、バタフライも背泳ぎも平泳ぎもクロールもできていましたけど今はどうかわからない」と話していました。

歌うことがトラウマ

三宅健といえばアイドルとして歌声でファンを魅了していますが、小学生の頃に母親から「絶対によそで歌とか歌わない方がいいよ」と言われたことがトラウマで、音楽の授業を出来る限りボイコットしていたそうです。

しかし、歌のテストはボイコットすることができなかったようで、その時のことをラジオで次のように語っています。

「1人ずつ先生の前でテストみたいな感じで披露しなきゃいけなくて。自分の歌を後ろで待ってる奴に聞かれてしまう最悪だって思ったけど、そこで思いついたのがファルセットだった。先生に普通に歌いなさいって言われたけど、僕はこの歌い方しかできませんって言って乗り切った」

三宅健の少年のような透き通った声質に魅了されるファンが多くいたことからは、考えられない過去ですよね。

三宅健の家族構成

三宅健の家族は、父親と母親、弟の4人家族です。

家族・名前 職業 年齢
父親 不明 死去
母親 水泳コーチ 2010年5月20日死去
弟・秀明 不明 43歳

ラジオなどで三宅健が弟の話をしたこともあり、弟がいることはファンにもよく知られていますが、調べてみると双子の姉がいるという噂がありました。

その根拠として三宅健の弟がジャニーズJr.に在籍していた頃に、雑誌のインタビューで双子の兄と姉がいると語っていたことと、三宅健と二卵性双生児である姉が高松市立紫雲中学校に通っていたという証言があることです。

しかし、三宅健本人はラジオ番組で双子の姉がいるということを否定しているので、本当のところはわかっていません。

三宅健の父親

三宅健の父親について名前などのくわしい情報はありませんでした。

先ほど触れたように、三宅健が幼少期に父親は鉄道事故で亡くなっています。

三宅健の「健」という名前は、父親が高倉健のファンだったことからつけられたそうです。

三宅健の母親

三宅健の母親は名前や年齢などわかっていませんが、地元である香川県で水泳のコーチをされていました。

父親が亡くなって以降、2人の息子を女手一つで育てていて、 息子には小学生の頃から少林寺拳法を習わせてくれたりとやりたいことはさせてあげたいと思っていたそうです。

家計は大変だったかもしれませんが、愛情たっぷりに育ててもらい、幸せに過ごしていたのでしょうね。

母親の助けになりたい

たくさんの愛を注いでくれる母親の助けになりたいと、三宅健は新聞配達をしていましたが、中学2年生の時に叔母のすすめでジャニーズ事務所に入所しました。

ジャニーズ入りを決めたきっかけは、母子家庭である一家を助けるためだったというのはファンにもよく知られています。

そして、ジャニーズのレッスンを受けながら新聞配達を両立させていたそうで、いくら優しい三宅健といえども、中学生でなかなかできることではないですよね。

母親の死

三宅健の母親は、2010年5月20日にい臓ガンのため亡くなられています。

三宅健もツアーなどの多忙な仕事の合間を縫ってお見舞いに訪れたりと、懸命な看病を続けていましたが、2010年に入ってから病状が悪化されたようです。

最期は弟さんと二人で立ち会うことができ、母親を見送ることができましたが、三宅健の「ファンや共演者に余計な心配をかけたくない」という意向より、葬儀はV6のメンバーと関係者のみで行われました。

お通夜当日も、フジテレビでバラエティのロケをこなしたり、『ガールズアワード2010』に参加したりと場を明るく盛り上げるなど、プロ意識を見せていましたね。

母親が亡くなってからはV6のメンバーに支えられ、辛い時期を乗り越え、メンバーとは家族のような関係性になったそうです。

三宅健の弟

三宅健には秀明」さんという弟がいて、1981年2月16日生まれの43歳で、早生まれですが1歳違いになります。

ちなみに弟の秀明さんもジャニーズ事務所に所属していましたが、ダンスも得意ではなく体も弱かったことから、現在は芸能界を引退して一般人として生活をされています。

三宅健の口からも弟のエピソードが語られるなど兄弟仲はとても良く、両親を亡くすなどともに苦労を味わってきたことからその絆は強いようです。

三宅健の自宅はどこ?

三宅健の自宅は、原宿・青山・中目黒など候補としていくつか名前が挙がっていますが、はっきりした根拠はなく自宅の場所はわかっていません。

情報が出てこない理由として三宅健の「自宅の場所は極秘の情報だから」という考えがあるようで、以前放送された滝沢秀明のラジオ番組『タッキーの滝沢電波城』にゲスト出演した際に、人を自宅に入れることがなく、誰にも場所を教えていない」と明かしていました。

舞台で共演していた滝沢秀明でさえも、三宅健の自宅は知らないそうです。

そんな謎に包まれた三宅健の自宅ですが、2020年に放送された『メレンゲの気持ち』に出演した際に自宅のインテリアを紹介し、加湿器を何台も置いていることや設置場所について話していました。

自宅の場所については絶対に知られたくないようですが、自宅の中の様子を公開するのは抵抗がないようです。

水回りにこだわり

2022年2月16日に放送された『TOKIOカケル』に出演した際に、自宅の水まわりへのこだわりを明かしています。

休みの日のルーティンについての話題で、「お風呂も毎回掃除しないと嫌なんで、入るたびにやっている。ワイパーかけて全部拭き上げる」「菌が嫌なので生ごみも冷凍して捨てる」と徹底したきれい好きであることを話し、TOKIOを驚かせていました。

サボテン愛

2022年2月6日放送の『おしゃれクリップ』では、サボテンについての愛を語っていて、自宅には20鉢くらいあるといいます。

朝起きてまずするのがサボテンの世話で、水やりも2日に1回水をあげてもいい子がいれば週1の人もいるなどメモをしているそうです。

朝、外に出して仕事に行っても空いた時間があった場合や、雨が降ってきた時には速攻で自宅に帰ってお世話をするほどのサボテン愛も明かしていました。

ちなみにサボテンにはメンバーの名前が付けられているようです。

まとめ

今回は、三宅健の地元や家族とのエピソードについて紹介しました。

ジャニーズ時代も、新しく移籍したTOBEでも、アイドルを続けていくことを宣言した三宅健ですが、その明るい笑顔から想像もできないような苦労を重ねられていましたね。

中学生の頃から新聞配達をしながら女手一つで息子2人を育てる母親を助け、その母親の病気の際は忙しい合間を縫ってたびたびお見舞いにかけつけるなど、人一倍家族を大切にしていることが伝わりました。

ツンデレだけど、後輩想いでも知られる三宅健の優しさや面倒見の良さは、こういった経験があったからかもしれません。

これから新たな場所で、新たな活動を始められる三宅健のこれからを温かく見守っていきたいですね。

コメント