二世タレントのジャニーズまとめ【岡本圭人は父親もジャニーズ!?】

実はあの有名な人の子どもだった!と驚きの2世ジャニーズタレントがいます。

ここでは2世タレントのジャニーズを紹介します。

櫻井翔/父親が元総務官僚の桜井俊

嵐の櫻井翔の父親は、元総務官僚の桜井俊です。

桜井俊は、1977年に郵政省に入省したキャリア官僚で、2015年に総務事務次官に就任した際、長男が嵐の櫻井翔であることが世間に知れ渡りました。

2016年に総務事務次官を退官した後は、一般財団法人全国地域情報化推進協会理事長に就任しています。

また2019年には、株主総会で承認を得て、電通取締役執行役員にも就任しています。

桜井俊は、櫻井翔がジャニーズになることを最初は猛反対していました。

ジャニーズ事務所に履歴書を送り、オーディションに行こうとする櫻井翔に対して「行くな!」と大激怒し、その後櫻井翔と両親との間には確執が生まれたと言います。

櫻井翔が嵐としてデビューしてからも確執は続き、桜井俊が嵐のコンサートに足を運ぶことはありませんでした。

その後、2006年に櫻井翔のソロコンサートが開催されることになり、桜井俊に「来てくれないか」と言ったことをきっかけに、2人の確執がなくなりました。

今では嵐のコンサートにも頻繁に行くようになり、櫻井翔の活躍を認めています。

大倉忠義/父親が居酒屋チェーン「鳥貴族」社長の大倉忠司

関ジャニ∞の大倉忠義の父親は、居酒屋チェーン「鳥貴族」社長の大倉忠司です。

ゼロから鳥貴族を立ち上げた創業者で、「メニューは全品298円(税抜)」という低価格路線を貫き、現在659店舗まで拡大する大人気居酒屋チェーンの社長です。

大倉忠司が独立して鳥貴族を創業した1985年は、長男である大倉忠義が生まれた年でもあります。

現在のように人気チェーン店に最初からなっていたわけではないので、子どもの頃の大倉忠義は「お金持ちではなかった」と言います。

大倉忠義がアルバイトをしたいと相談すると、「地元で一番安い時給を調べて来い」と言われ、同じ時給で鳥貴族の顧客名簿打ちのアルバイトをしたことがあると語っていました。

関ジャニ∞が2015年に「NHK紅白歌合戦」に出場した際、テレビに映る大倉忠義の画像をTwitterにアップし、「親バカかな?」と呟いていました。

2017年の「NHK紅白歌合戦」のときも同じく写真を撮り、「親バカかな?パート2」と呟き、ファンからは「素敵な親子愛ですね」と大反響を呼びました。

京本大我/父親が俳優でタレントの京本正樹

SixTONESの京本大我の父親は、俳優でタレントの京本政樹です。

京本政樹は、時代劇から現代劇まで幅広いジャンルの演技を熟す俳優として数多くのドラマに出演しています。

また、綺麗な顔立ちでありながら、バラエティー番組ではコミカルなキャラクターで活躍し、親友であるタレントの柳沢慎吾との掛け合いが有名です。

京本政樹が中学時代、友人が送った写真がきっかけでジャニーさんから直接連絡が来たのですが、ジャニーズ事務所入りは断っています。

その後もジャニーさんと交流があり、ハワイの飲食店の店主と息子の京本大我が写る写真を偶然ジャニーさんが見つけて、京本政樹に直接電話が来たと言います。

後日KAT-TUNのコンサート見学に誘われた京本大我に「出てみる?」とジャニーさんが言い、急遽初舞台を経験し、ジャニーズに入所することになりました。

2013年には、舞台「滝沢演舞城」で京本政樹と京本大我が初共演し、同年トーク番組「徹子の部屋」にも親子で出演しています。

「徹子の部屋」では、共演した「滝沢演舞城」での立ち回りを熟す京本政樹の姿を間近で見て、芸能界の先輩としての尊敬の念が大きくなったと京本大我は語っていました。

岡本圭人/父親が元男闘呼組メンバーの岡本健一

Hey!Say!JUMPの岡本圭人の父親は、元男闘呼組メンバーの岡本健一です。

男闘呼組は、当時のジャニーズでは珍しいバンド活動を中心としたグループで、岡本健一はボーカルとリズムギターを担当していました。

ジャニーズ事務所内で仲の良かった成田昭次と高橋一也が「でたらめロックバンド」を結成し、岡本健一も参加することとなりバンド名も「東京」に変更になりました。

それからメンバーの増員や、バンド名の変更があり、1985年に「男闘呼組」としてデビューすることになりましたが、1993年に活動休止になっています。

岡本健一はその後もジャニーズ事務所に所属し、俳優として活動しています。

岡本圭人は男闘呼組で活躍した岡本健一の影響もあり、ギターを得意とし、「ジャニーズカウントダウンコンサート」では、親子共演を果たし話題になりました。

菊池風磨/父親が元LA-LA Deuxメンバーの菊池常利

Sexy Zoneの菊池風磨の父親は、元LA-LA Deuxメンバーの菊池常利です。

LA-LA Deuxは、1989年から2001年まで活躍した男性フォークデュオグループです。

2001年にメンバーの吉川正己がジャニーズ事務所の音楽プロデューサーになったことを機にLA-LA Deuxは解散し、菊池常利はシンガーソングライターとして活動するようになりました。

また、LA-LA Deuxの時から楽曲提供も行っており、1999年には嵐の「A・RA・SHI」を作詞し、それ以降もTOKIOや滝沢秀明らの楽曲の作詞や作曲をしています。

菊池風磨のソロ曲「Cocoa」は、幼い頃の父親との思い出をテーマにした曲で、作詞を菊池風磨、作曲を菊池常利が担当した親子共作となっています。

菊池常利は、Twitterで「共作楽しかったなぁ…。俺にとってもまた大切な人生の1ページになりました。」と、呟いていました。

知念侑李/父親が元体操選手でメダリストの知念孝

Hey!Say!JUMPの知念侑李の父親は、元体操選手でメダリストの知念孝です。

知念孝は、沖縄県出身で興南高校の体操部に所属し、高校総体では鞍馬で優勝をしています。

大学は日本大学に進み、卒業後は河合楽器の体操部に所属しました。

1992年に行われたバルセロナオリンピックでは体操団体で銅メダルを獲得し、当時沖縄県出身でのメダリストは初めてでした。

現役を引退してからは、朝日生命体操クラブなどでコーチや、整体師をしているようです。

知念侑李も小さい頃から体操クラブになじみがあり、バク転を得意とし、母親がジャズダンスの講師だったため、3歳からダンスを始めています。

そのため、知念侑李は、Hey!Say!JUMPの中でも振り覚えが早く、アクロバットもできるメンバーとして、他のメンバーから「天才」と言われる存在です。

メダリストである知念孝譲りの運動神経の良さがジャニーズで生かされています。

マリウス葉/母親が元タカラジェンヌの燁明

Sexy Zoneのマリウス葉に母親は、元タカラジェンヌの燁明(ようあきら)です。

燁明は、日本と中国のハーフで、1979年に宝塚音楽学校に入学し、1981年に宝塚歌劇団67期生として宝塚に入団しました。

67期生の中には、女優の黒木瞳、涼風真世、真矢みきなどが在籍し、現在も活躍されている方が多くいる年でもあります。

燁明は入団後、星組の男役を務め、新人公演では主役を任されるほどのトップスター候補と言われる存在でした。

その後、1988年に宝塚を退団し、現在は芸能界を引退しています。

マリウス葉は燁明が宝塚で活躍していたことから、自分も宝塚に入団したいと思っていましたが、男性は入団できないことを知って諦めたそうです。

その後、燁明と宝塚時代から親交のあった稲垣吾郎の勧めもあり、マリウス葉はジャニーズ事務所に入所することになりました。

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