手越祐也の家族構成!父親は立教大学出身で野球部?母親との関係は?

ジャニーズのアイドルグループNEWSのメンバー、手越祐也

人気バラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」で彼を知った人も多いのではないでしょうか。

番組や週刊誌の影響もあり、手越祐也には「チャラい」というイメージが先行してしまいがちですが、実は家族思いな一面もあるのです。

そこで今回は手越祐也の家族構成について調べました!

手越祐也の家族構成

家族構成は父、母、手越祐也の3人となっており、手越祐也は一人っ子です。手越祐也の両親は離婚しており、実家にいた頃は祖母、母、手越祐也の3人で暮らしていました。

母子家庭で育った手越は現在、ひとり親家庭に無償で弁当を配達するボランティア活動に参加しています。

自分が弁当を届けることで元気を与えられないかと考え、行動を起こしている姿は素晴らしいですよね。

また手越祐也の両親が広島県出身であることもわかりました。手越は広島に行くと必ず原爆ドームに足を運んでいます。

2018年に広島県で行われた「いのちうたフェス」では、手越祐也は『いのちの歌』を歌い多くの人の心を動かしました。

これは命への感謝を伝えている曲で、素晴らしい歌声を持ち広島に縁がある手越だからこそ、この曲を通して人々に感動を与えられたのだと思います。

2018年の西日本豪雨で被害を受けた広島県。

広島にルーツのある手越祐也はプライベートで災害ボランティアに参加し、被害を受けた家の床下に入って泥だらけになりながら土砂を掻き出しました。

「普段から運動しているため体力に自信がある」と言い、床下で作業環境が一番厳しい場所に率先して入り他のボランティア参加者を助けていたそうです。

このように手越祐也は家族の故郷である広島への思いが強いことがうかがえますね。

手越祐也の父親の職業

手越祐也本人は父親の職業について詳しく話していませんが、タクシー運転手だったということがファンの間で知られています。

父はタクシーに乗った客に手越祐也の話を自分からしていたようで、彼にとっては自慢の息子だったことがうかがえますね。

両親の離婚後は母親と一緒に暮らしていた手越祐也ですが、父親との交流は続いていました。

しかし2015年1月7日、手越祐也の父は亡くなってしまいます。倒れた翌日に亡くなったため、手越祐也は父の最期にも会うことができなかったのです。

葬式の喪主は手越祐也で、NEWSファンの父のためにNEWSのシングルメドレーを作って式で流したそうです。

実は手越の父は2015年6月のNEWSの東京ドーム公演に行くはずでした。そのため手越祐也はこの東京ドーム公演で、父が一番好きだった曲『さくらガール』を父のために歌いました。

『Myojo』2015年9月号では「あの日の『さくらガール』は、俺はずっと天に向かって歌って。あの時だけは、ファンのみんなじゃなくて、天国に向かって歌わせてもらった」と話しています。

そして歌い終わった後、手越は天を指さして「親父、届いた?」と言いました。

手越祐也と父親の絆が感じられるエピソードですよね。

手越祐也の父親の大学は立教?

ラジオ番組「テゴマスのらじお」の2015年1月の放送で手越祐也は父親の大学について触れています。

その話の中で手越の父親の出身大学は立教大学だと判明しました。

「テゴマスのらじお」を無料で聴くことができるのは一部の地域に限られているため、ラジオを聴けなかったファンの間ではこの情報はあまり知られていませんでした。

その後2019年11月に放送されたテレビ番組「衝撃のアノ人に会ってみた!」でも手越祐也は父親が立教大学出身だと話しています。

日本テレビ系列の番組ですから、これを機に手越の父の大学について知ったファンも多いです。

手越の父は立教大学を卒業し、何らかの仕事に就いた後に転職してタクシー運転手になったのではないかと考えられます。

手越祐也の父親は野球部?

手越祐也曰く、父親は立教大学の野球部に入っていたとのこと。父の野球のポジションはピッチャーで、エース投手だったと話しています。

立教大学の野球部は強豪として知られており、過去には長嶋茂雄も活躍していました。

また手越の母もサーフィンなどのスポーツが好きであり、手越祐也はスポーツ家系だと話しています。

手越祐也も運動神経が抜群でサッカーが上手。この運動神経の良さは両親から受け継いでいるのですね。

手越祐也と母親とのエピソード

手越祐也は母親ととても仲良しです。現在手越は一人暮らしをしていますが、母親がよく家に来るとのこと。

ロケでシャインマスカットを食べる機会があった時、ちょうど母が家に来ているので母のために手越がマスカットを持って帰ろうとしたことも。

他にも仲の良さがうかがえるエピソードは数多くあります。また手越祐也は中学受験を終えた後、母宛に手紙を書いていました。

手紙には母への感謝、そして将来家をプレゼントするという夢が書かれています。

実際、手越は22歳の時に母のために豪邸をプレゼントしており、まさに有言実行!手越はマリンスポーツ好きの母のために海岸沿いに家を建てました。

この家を建てる際、手越は約1億円のローンを組み7年で完済しています。素晴らしい親孝行エピソードですよね。このように手越祐也には家族思いな一面もあるのです。

手越祐也は兄弟おらず一人っ子!幼少期はどんな子供だった?

一人っ子として育った手越祐也。幼少期の写真を見ると髪が長かったことがわかります。

まるで女の子のように見えますね。手越祐也曰く、幼少期は母親の趣味で髪を伸ばしていたとのこと。

母親だけでなく、一緒に住んでいた祖母にも可愛がってもらっていたそうです。手越はおばあちゃんっ子だったのですね。

また幼少期には多くの習い事をやっていたこともわかりました。手越祐也は『DUeT』2012年5月号で水泳、ピアノ、サッカー、習字をやっていたと話しています。

中でもピアノとサッカー歴が長いのが印象的です。6年間ピアノを習っていた経験があるため、NEWSのライブでは自身のソロ曲でピアノを演奏することも。

また4歳の頃から地元のサッカークラブに所属し、学校でもサッカー部でエースとして活躍していました。その後、手越祐也は15歳でジャニーズ事務所に入所。

現在もプライベートではサッカーを続けており、芸能人のフットサル大会「音蹴杯」にも出場しています。

2012年からはFIFAクラブワールドカップのメインキャスターを務めており、大好きなサッカーを仕事にも繋げています。幼少期は多くの習い事をしていた手越祐也ですが、ゲームにも夢中になっていました。

特に手越の「ポケットモンスター」好きはファンの間では有名です。

手越は現在もゲームが大好きだと話しており、NEWSの楽屋でもゲームに熱中しているとのこと。2020年2月にはゲーム実況動画配信プラットフォームOPENREC.tvの公式アンバサダーに就任し、サッカーだけでなくゲームも仕事に繋げています。

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