V6の不仲説まとめ!喧嘩・いじめ・メンバー格差はある?

2021年11月1日のデビュー26年を迎えて解散となったV6。

「決して仲が良かった訳ではなかった」というメンバーは、長い年月を共に過ごし、時には口をきかなかったり、ギクシャクしたりすることを乗り越え、かけがえのないグループとして最後のときを迎えました。

森田剛さんがジャニーズ事務所を退所することをきっかけに、他の5人のメンバーも自分の人生について考え、「この6人でなければV6ではない」という思いが全員一致し、解散という決断になったと言われています。

退所したメンバー以外でグループ活動を続けることもできる中、「誰かが欠けてしまったら解散」という道を選んだ、強い思いのあるV6のこれまでのメンバー同士の仲について調べてみました。

V6結成当初の不仲

1995年に坂本昌行さん・長野博さん・井ノ原快彦さん・森田剛さん・三宅健さん・岡田准一さんの6人でデビューし、バレーボールワールドカップのイメージキャラクターを務めて話題となりました。

 

坂本さん・長野さん・井ノ原さんの年上組が「20th Century(トニセン)」、森田さん・三宅さん・岡田さんの年下組が「Coming Century(カミセン)」と呼ばれ、グループだけでなくトニセンやカミセンとしても活動していました。

①岡田准一の孤立

岡田さんは、1995年『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のコーナー「ジャニーズ予備校」に母親が応募、オーディションに合格しジャニーズ事務所に入所しました。

同年9月にV6に14歳で加入し、入所してわずか4カ月後の11/1発売の『MUSIC FOR THE PEOPLE』でCDデビューし、ジャニーズ史上入所から最短でのデビューを果たします。

しかし、2016年12月放送の『櫻井・有吉THE夜会』で岡田さんは、「大阪から上京し生活が一変した状況に心が追い付かず、辞めることばかり考えていた」と話しています。

「当時はメンバーにたくさん迷惑もかけたし、傷つけたこともあった。反抗期って今となれば笑って言えるけど、メンバーともほとんど口をきかなかった」

 

長年やってきた子をデビューさせるべきという人もいる中、ジャニーさんだけがずっと味方でいてくれたそうで、岡田さんはジャニーさんへの感謝も2021年6月13日放送の『日曜日の初耳学』で語っていました。

 

ちなみに、岡田さんが受けたジャニーズオーディションの審査員をつとめていたのはのちに同じグループとなる森田さんと三宅さんで、2人とも岡田さんを見て「この子だな」と思ったそうです。

三宅健のパンツを勝手にはいていた

そんな岡田さんですが、「メンバーのパンツとか盗んだりしてた」といったやんちゃな一面もありました。

 

2021年6月13日放送の『日曜日の初耳学』で、当時パンツを買うお金が無く、三宅さんのパンツを盗んで履いていたそうで「それまで白いパンツしかはいたことなかったので、東京に来て三宅くんのパンツを見たとき『こんなパンツあるんだ』って思った」「かっこよく見えて、はいてみたかった」と話していました

その岡田さんの様子に気づいた三宅さんが「俺のをはくんだったらこれはいて」とパンツを買ってくれたそうです。

 

三宅さんや森田さんとは歳も近かったので、合宿所で共同生活をするうちに、徐々に心を開いていけたのかもしれませんね。

②トニセンVSカミセン 不仲説

V6の名前の”V”には、「volleyball(バレーボール)」・「victory(ビクトリー)」・「visual(ビジュアル)」・「versus(バーサス)」・「veteran(ベテラン)」など、いくつかの意味が込められています。

CDジャケットの撮影時にジャニーさんが「3VS3のバーサスだよ」と言っていたように、年上の3人を「20th Century(トニセン)」年下の3人を「Coming Century(カミセン)」に分けての活動もしていました。

最年長の坂本さんと最年少の岡田さんとの年齢差は9つあり、トニセンと名付けられる前は”アダルトチーム”と呼ばれていました。

当時19歳だった井ノ原さんは納得がいかなかったとTVで話していました。

またカミセン、特に森田さんと三宅さんの「剛健コンビ」の人気は絶大で、CDジャケットや雑誌の撮影など格差をつけられることが多く、トニセンとカミセンの間には大きな溝があったと言われています。

当時のカミセンは14歳~16歳の思春期真っ只中で、その人たちから見れば20代は大人なので、話しかけづらかったり、おじさんに見えたりしてしまうのも仕方なかったかもしれませんね。

 

一方のトニセンは、初対面から年上のトニセンに対して無礼な態度を取った岡田さんをはじめ、やんちゃで有名だった森田さんと三宅さんの3人を見て「大丈夫か?」と不安になるほどだったようです。

年齢差があるにもかかわらず、早い段階からどちらからともなくタメ口になっていたそうです。

坂本昌行の覚悟

坂本さんは事務所から「規律が乱れるから厳しくするように」と言われていて、昔はカミセンに対してかなり厳しく接していました。

当時はカミセンの3人も中高生の年齢だったので、坂本さんの言葉を煙たがったり、反発することもあったそうです。

そのときの坂本さんについて岡田さんは「今思えば無理して怒ってたんだろうな。坂本くんだったからV6はみんな優しく育った」と振り返っています。

また三宅さんも「年上なのに失礼なことをたくさんしてごめんなさい。でもありがとう」と素直な気持ちを坂本さんに伝え、坂本さんは目を潤ませていたそうです。

嫌われていても、煙たがられてもあえて厳しく接していたのは、V6というグループを守っていこうという坂本さんの強い想いがあったからなのでしょうね。

不仲説 森田剛・井ノ原快彦

結成当時、トニセンの中でも井ノ原さんは、真面目で熱すぎる性格ゆえ森田さんとは仲が悪く、お互いに楽屋でも避けていたそうです。

さらに森田さんがTVで「井ノ原さんが嫌いだった」と発言し、2人は不仲なのかと思われました。

森田剛は井ノ原快彦が嫌い

森田さんが井ノ原さんのことが嫌いだったと発言したことを、井ノ原さんが司会を務めていた『あさイチ』に森田さんが出演した際に語っていました。

井ノ原さんのことを「嫌い」と発言したことについて尋ねられた森田さんは、「初対面の人の印象を会って直感的に3秒で決めてしまうので、オーディションで一緒になった井ノ原さんを見てすぐ『嫌いだ、この人』と思った」と明かしました。

現在の井ノ原さんは”温厚ないい人”とイメージですが、当時は「今の感じではなかった。ヤンチャなお兄ちゃんっていうか、太いジーパンを穿いて怖かったのもありました」と森田さんが話すように見た目も少し怖い感じでした。

 

井ノ原さんも「当時の自分はトゲトゲしていたんだろうね。床につきそうな長いチェーンしてたし」と太いジーパンと長いウォレットチェーンというスタイルだったことを明かし、周囲を驚かせていました。

森田さんは、同じグループで時を過ごした井ノ原さんについて「だいぶかわいがってもらった。先輩なのでどこかピリッとする、その関係は今も変わってない」と、親しい2人の仲にも先輩後輩としての緊張感はあると話しています。

 

そして井ノ原さんに対する今の気持ちを聞かれた森田さんは「今は好き嫌いじゃない」と話し、20年以上苦楽をともにしてきた固い絆を明かしていました。

お互いに長い年月を一緒に過ごす中で、家族のような関係性になっていったのでしょうね。

不仲説 森田剛・坂本昌行

V6がデビューした当時、坂本さんは24歳、森田さんは16歳でした。

高校生になったばかりの森田さん含めるカミセンが、サラリーマン経験を持つリーダーの坂本さんにしょっちゅう怒られていて、デビューしてしばらく坂本さんとカミセンには距離がありました。

その中でも打ち解けるのに一番時間がかかったのが森田さんだったそうです。

時には胸ぐらを掴むくらいの激しいケンカもあったようで、森田さんは「いつかこいつやってやる」と思っていたとのちに明かしています。

本気でぶつかった2人

1998年に放送された『うたばん』で森田さんは坂本さんへ感謝の手紙を読んでいます。

「V6結成一周年の日、寝坊したわけじゃないのに俺は家でマネージャーからの連絡を待っていて遅刻し、スタッフに叱られ、ふてくされて『うるせえな』って言い返したら、坂本くんが俺の髪をわしづかみにして『なんだその態度は!』って怒鳴った」

「坂本くんまでわかってくれてないのがくやしかったが、人に迷惑をかけた以上は素直に謝るべきということを坂本くんは言おうとした」

「俺は、坂本くんを煙たそうにしてたけど本当はすごく頼りにしてた」

 

また坂本さんも1年後の『おしゃれカンケイ』で感謝していると話しています。

「剛とは上手にコミュニケーションがとれなくて、デビューしてから1年半くらいほとんど会話もしなかった」

「あるとき剛を怒鳴ってしまい、剛は涙をためて俺を本気で睨んだ。初めて俺に対して剛が本気になってくれた事が嬉しかった」

 

森田さん曰く”熱い男”の坂本さんは、その後三宅さんや岡田さんからも直接仕事の相談をされるようになり、リーダーとして頼ってくれたことがうれしかったと語っています。

本気でぶつかったからこそ生まれた絆に、V6の歴史と愛を感じますね。

不仲説 森田剛・岡田准一

1993年14歳のときにジャニーズ事務所に入った森田さんと、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のコーナー「ジャニーズ予備校」のオーディションで入所した岡田さん。

大阪から上京し、合宿所で共同生活をしていた岡田さんは、グループ内ではイジられ役で、森田さんや三宅さんから寝ているところを邪魔されたり、かわいがる勢いがあまってキスマークをつけられたりと微笑ましいイタズラをよくされていたそうです。

ですがそんな仲の良さそうに見える2人にも距離を感じる時代がありました。

森田剛へのコンプレックス

岡田さんが入所した頃、森田さんと三宅さんは「剛健コンビ」と言われ、ジャニーズJr.で初めてコンサートを開催したほど圧倒的な人気を誇っていました。

中でも森田さんのダンスは群を抜いていて、嵐など後輩の憧れの的でもあり、森田さんのダンスやファッションを真似しようとするJr.も多く、Jr.での下積み経験のほとんどない岡田さんは実力の差を感じてしまったようです。

 

岡田さんは、その頃の森田さんに対して、「初めの頃はちょっと話しにくかった」とインタビューで語っています。

また、岡田が2016年12月に『櫻井・有吉THE夜会』に出演した際、「森田くんとかは天才肌だと思う。天才肌の人たちを見て、『俺は普通なんだ』っていうのが若い頃にわかってしまった」

「アイドルとしても劣等感しかなく、何やっても向いていると思えなかった」とコンプレックスを感じていたことも明かしていました。

末っ子の反抗期へ

1997年、V6の伝説の番組『学校へ行こう!』がスタートし、それまで森田さんは人と話すことを面倒くさがっていましたが、バラエティでいろいろな経験をし、誰とでも分け隔てなくコミュニケーションがとれるようになりました。

そんな森田さんを見て、岡田さんは収録で消極的な態度を取ったりと、自分の殻にこもってメンバーともほとんど口をきかない状態になったそうで、のちに岡田さんはこの頃のことを「末っ子の反抗期状態」と語っています。

2010年に出演した『ボクらの時代』で「20才になったら事務所を辞めて、中学校の社会の先生になりたかった」と話していたくらい追い詰められていたようです。

新たな道へ

そんななか、岡田さんは『木更津キャッツアイ』への出演で、役者の面白さを見つけ、のめり込んでいき、『SP 警視庁警備部警護課第四係』では、アクション俳優として高く評価されるようになります。

2008年頃から、V6はソロ活動に力を入れるようになり、岡田さんは2014年の『軍師官兵衛』など俳優への道を歩んでいきます。

2015年の第38回日本アカデミー賞では、『永遠の0』で最優秀主演男優賞を、『蜩ノ記』で最優秀助演男優賞をダブル受賞し、映画界でも評価され、史上初の現役ジャニーズタレントの日本アカデミー賞を受賞となりました。

日本アカデミー賞を受賞した2015年頃までメンバーと口をきかない岡田さんの反抗期が続いていたようですが、「自分が役者として認められることが、グループにとっても事務所にとってもいいこと」「グループに迷惑をかけるわけにはいかない。V6の岡田として役者で成功する」という強い思いがあってのことだったと自ら振り返っています。

森田剛からかけられた言葉

自分の活躍できる場として必死に演技を磨き、大河ドラマや映画などで大役を務める岡田さんのことを、10代から苦楽をともにしてきた森田さんはずっと気にかけていました。

2015年に放送された『SONGS』にV6で出演した際、森田さんは岡田さんに「V6のみんなで集まっているときくらい、何も考えずに笑っていてほしい」と温かい言葉をかけます。

その言葉に「剛くんからそんな言葉が聞けるなんて泣ける」と、岡田さんは言葉をつまらせていて、このことがきっかけかはわからないが、岡田の長い反抗期は終わりを告げました。

ずっとそばにいて、自分のことを見守って理解してくれているメンバーからの言葉は、何にも替えられないくらいうれしかったでしょうね。

結婚の時期をめぐって

2017年12月に、岡田さんは宮崎あおいさんとの結婚を発表しましたが、本当は同月に森田さんと宮沢りえが結婚を発表することになっていたそうです。

結局、岡田さんと宮崎さんが授かり婚だったことで、ファンへのダメージを考えて、森田さんの結婚は2018年3月に先送りになりました。

ジャニーズの結婚に関しては、ファンへの影響を考えてナーバスになる問題ですよね。

グループで最初に結婚した井ノ原さんも、瀬戸朝香さんと結婚発表の2年前から事務所に伝えて準備していたそうです。

そのため、森田さんも時間をかけて慎重に話を進めていましたが、岡田さんの結婚が急に決まってしまったため、「これまでの計画が台無しになって面白くないのでは?」などと噂されました。

これは本人同士にしかわからない感情なので何とも言えませんが、強い絆のある2人のおめでたい話なので、お互いに祝福されたのではないでしょうか。

グループが解散した翌日の11月2日には、森田さんは宮沢さんと新事務所「MOSS」を設立し、新たなスタートを切っているので、双方のご家族の幸せを願いたいですね。

まとめ

「プライベートでは、ほぼメンバーと絡まない」「仲は良くはない。悪くもないけど」と話していたV6。

グループ全員が40代に突入し、お互い必要以上に干渉しない、適度な距離感を保てているからこそ26年という長い時間を1人も欠けることなく仲良しでいられたのかもしれません。

 

不仲や方向性の違いではなく、全員が40代に入り、今後の人生をそれぞれが改めて考えて解散することを決めました。

10代~40代までの時間をぶつかり合いながら切磋琢磨して過ごし、好きや嫌いではなく、いるのがあたりまえの家族のような関係になり、それぞれが自分のポジションを見つけ、さらに活躍の場を広げようとしています。

グループを脱退したり、ジャニーズを退所していく人がいる中、ファンを想い最後の最後まで楽しませてくれたV6の姿は、応援してきたファンにとっては寂しいけど本当に理想の形ですよね。

11月1日のラストコンサートでのメンバーの言葉にあるように、「これでさよならではない」「またここに戻ってこれるように頑張りたい」という言葉を信じて、これからのさらなる活躍を応援していきたいですね。

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