屋良朝幸の家族構成【父親・母親・兄弟・姉妹の情報】

グループには属さず、俳優やダンサーとして活躍する屋良朝幸。

あまり知られていませんが「タッキー&翼」「」「関ジャニ∞」など、ジャニーズのヒット曲や舞台演出など様々な作品を手掛ける実力派振付師なんです。

2020年には、感染予防対策としてジャニーズ公式YouTubeチャンネルにアップされた「手洗いダンス」の振り付けを担当していました。

現在ジャニーズ事務所副社長を務める滝沢秀明と、元ジャニーズ事務所所属タレントの今井翼などと同期でジャニーズ歴の長い人物です。

若いころの情報が少なくまだまだ屋良朝幸について知らない方も多いと思うので、今回はそんな屋良朝幸の家族構成について調べてみました!

調べるうちにジャニーズ事務所に入所したきっかけや、経緯もわかったので一緒に紹介していきたいと思います!

屋良朝幸の家族構成

屋良朝幸の家族構成は、「父親・母親・姉・本人」の4人家族です。

出身は千葉県ということですが、それ以上の情報は明かされておらず出身校などの情報は不明となっています。

どうやらあまり自身のことは公で話していないようですが、家族についての情報はどうでしょうか?

ジャニーズきってのストイックと言われる、屋良朝幸の家族について詳しく見ていきましょう!

屋良朝幸の父親

屋良朝幸の父親は一般の方なので顔写真などはありませんでしたが、沖縄県出身の方だという情報がありました。

屋良」という苗字は、沖縄県に多い苗字のようですね。

屋良朝幸の「朝幸」という名は、沖縄県の屋良家系伝統のものだというのはご存じでしょうか?

なんでも沖縄県の屋良家系では、男の子が生まれると「」という字を名前に付ける伝統があるそうです。

そのため屋良朝幸の父親も、「」という字が名前についているとの情報がありました。

情報が少なくこれ以上のことはわかりませんでしたが、屋良朝幸に似てイケメンな父親なのでしょうか?

屋良朝幸の母親

屋良朝幸の母親についても情報は出回っていないようで、名前や顔写真・屋良朝幸とのエピソードでさえも出てきませんでした。

母親の名前の「」と合わせて「朝幸」という名前になったとされているので、母の名前には「」というが付くと予想されています。

父親の名前に使われる「」と母親の名前に使われる「」から名づけられたこの素敵な名前は、屋良朝幸自身も気に入っているようで芸名などは使わずに本名で活動しているそうです。

屋良朝幸の姉

屋良朝幸には、ジャニーズ好きの姉がいます。

姉についてもこれといった情報は出回っておらず、屋良朝幸との年齢差などもわかりませんでした。

屋良朝幸は12歳でジャニーズ事務所に入所しているので、一般人の両親や姉については話さないようにしていたのでしょうか?

グループではなくソロで活動している点も、家族について話すきっかけがあまりなかったのかも知れませんね。

姉について調べてみると屋良朝幸がジャニーズ事務所に「入所するきっかけを作ったのは姉だ」という情報を入手したので、入所の経緯やジャニーズJr.時代の屋良朝幸についてご紹介したいと思います。

屋良朝幸のジャニーズ入所のきっかけは姉

屋良朝幸がジャニーズ事務所へ入所したのは、ジャニーズ好きだった姉が応募したテレビ番組のタイアップオーディションに参加したことがきっかけでした。

屋良朝幸はこのオーディションでSMAPの楽曲「がんばりましょう」を姉が考えた振り付けで披露しますが、緊張でうまく踊れなかったため不合格に。

しかし屋良朝幸のダンスを気に入った当時のジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川に、「1週間後のオーディションに来るように」と言われたのでした。

ジャニー喜多川に言われた通り、1週間にオーディションを受けに行った屋良朝幸がオーディション開場として訪れたのは、コンサートのリハーサル会場だったそうです。

そこでジャニー喜多川と直接面談を行った屋良朝幸は、急遽コンサートの出演が決定し、そのままジャニーズ事務所に入社。

屋良朝幸は12歳で、芸能界へと足を踏み入れることとなりました。

オーディションに行ってそのままコンサートへ出た」という話はジャニーズの中ではわりと有名な話ですが、屋良朝幸もその1人だったんですね。

ジャニーズJr.の中でもダンスが秀でており、異彩を放つ存在だった屋良朝幸はジャニーズJr.内ユニット「Musical Academy」として活動していましたが、2012年にグループが解散してしまいます。

同期や後輩にたちが自分よりも先に華々しくデビューをしていく中で、当然焦りを感じていた屋良朝幸ですが「ダンスをメインでやっていきたい」という自分の強い思いを大切にしながら日々頑張っていたそうです。

屋良朝幸が振付師になったきっかけ

屋良朝幸がはじめて振り付けを担当したのが、Kinki Kids・堂本光一のコンサートツア「KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 mirror The Music Mirrors My Feeling」でした。

Kinki Kids・堂本光一から直々の依頼で引き受けることとなったそうで、このコンサートツアーでの振り付けをきっかけに屋良朝幸は振付師としての活動を始めます。

振付師としての実力・センスを発揮した屋良朝幸は、すでにデビューしていた「タッキー&翼」「」「関ジャニ∞」の楽曲の振り付けを手掛けるようになりました。

2007年にはその頑張りが高く評価されたのか、滝沢秀明プロデュースのジャニーズJr.内ユニット「舞闘冠」のメンバーに選ばれました。

舞って闘って王冠を取る」という滝沢翼の思いが込められた舞闘冠は、当時のジャニーズJr.の中で特にダンスがうまかったメンバーが集められたグループで、屋良朝幸はリーダーとしてグループを引っ張る存在に。

NHKの音楽バラエティ番組「ザ少年倶楽部」でのパフォーマンスをメインに活動していた舞闘冠は、結成からに2年後の2009年に大日本除虫菊の商品である「コンバット」のCMに出演。

ゴキブリの姿で披露される華麗なダンスにジャニーズファンのみならず、舞闘冠を知らないジャニーズファン以外からの注目も集めることとなりました。

グループでCDデビューする前にCM出演しているので、やはりジャニーズJr.の中でも人気のあるグループだったことが伺えますね。

今でも舞闘冠が「タッキーの初プロデュース」と、滝沢秀明ファンの間では語り継がれ愛されているグループです。

ダンススキル向上のため留学

ダンスをメインにやっていきたい」と考えていた屋良朝幸は、2010年11月からおよそ2ヶ月の間、ダンス留学のためにアメリカのロサンゼルス旅立ちました。

そこで様々な刺激を受け、さらなるダンススキルを身に着けた屋良朝幸は2012年に上演されたKinki Kids・堂本光一が座長を務めるミュージカル「Endless SHOCK」で振り付け助手を担当。

それを機に、ほかの舞台でも振り付けを手掛ける機会が増えていきました。

さらなる高みを目指してアメリカへ留学へ行った屋良朝幸は、とても向上心があってストイックな性格をしているようですね。

2か月間という決して長くはない留学期間の間に、しっかりと技術を見つけて日本へ帰ってきた姿を見ると、本当にダンスセンスに恵まれていたことが伺えます。

入所から20年でジャニーズJr.を卒業

CDデビューという表舞台で輝くことができなかった屋良朝幸はジャニーズ事務所入所から20年となる2015年、年齢にして32歳でジャニーズJr.を卒業します。

アイドルとしてデビューすることはなかった屋良朝幸ですが、主演舞台やドラマに出演するなど俳優としての演技力も発揮し、活躍の幅を広げていきました。

持ち前のダンススキルを活かし振付師としての活動もさらに拡大し、2015年・2017年と上演した自身が主演を務めるミュージカル「ドッグファイト」が2021年9月にも上演されることが決まるなど現在でも活躍し続けています。

強い信念をもってストイックに努力し続けてたからこそ、こうして活躍し続けているのかもしれませんね。

屋良朝幸自身も

良くも悪くも、曲げなかったからこそ、今の自分があるんだと思います

引用元:Yahoo!ニュース

と、インタビューで語っていました。

自分のやりたい事、大切にしたいことを貫くというのはそう簡単には出来ないことだと思います。

つらいこともたくさんあったと思いますがその経験があったからこそ、今の屋良朝幸がいるのかもしれませんね。

屋良朝幸の家族構成まとめ

今回は、屋良朝幸の家族構成についてご紹介しました。

家族についてはわからないことが多かったですがジャニーズJr.時代についても紹介したので、屋良朝幸についてたくさん知ってもらえたかと思います。

オーデションの際に披露したSMAPの「がんばりましょう」の振り付けを姉が行ったということだったので、もしかすると屋良朝幸の姉もダンス経験者なのかもしれません。

デビューこそできませんでしたが、ジャニーズ所属グループの振り付けを手掛けてくれる屋良朝幸のジャニーズ入所のきっかけを作ってくれたお姉さんには、ジャニーズファンとして感謝したいものです。

屋良朝幸はジャニーズJr.を卒業してからさらなる活躍を見せているので、どこかで家族のことを話してくれるといいですね。

これからの活躍にも期待したいと思います。

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